アズビル金門の歴史
チャレンジ精神旺盛な創業者の
物づくりへの思い
創業者十文字大元の思いによって生まれた国産ガスメーター1号機。国内ではまだ海外製品に頼っていた、黎明期の熱い開発ストーリーをご紹介します。
1904年(明治37年):
創業 国産初のガスメーター十文字乾式A型を開発
国内で使用するガスメーターは全て海外からの輸入品に頼っていた時代。
国産のガスメーターの必要性を感じていた創業者十文字大元は、自宅を作業場として当時一緒に働いていた技術者たちと共にメーターの開発に着手します。
寝食を惜しんで研究を重ね、約二か月の期間を経て開発された十文字乾式A型ガスメーターは、東京瓦斯による厳密な試験を見事クリアし発注を受けることとなります。
こうして日本初のガスメーターが誕生しました。
- この頃の社会の動き
-
- ・日露戦争始まる
1905年(明治38年):
店名を金門商会と定める
東京市神田区に工場を建設、下谷区(現台東区)に営業所を置き、店名を金門商会と定めます。
大元は初代商会主となり、ガスメーター・ガス器具の販売を開始します。
- この頃の社会の動き
-
- ・アインシュタイン 特殊相対性理論を発見
- ・ポーツマス条約に調印
- ・ガスメーターが改正度量衡法の度量衡器として追加され、事業規制の対象となる
1913年(大正2年):
十文字式平円盤型、翼車型水道メーターを製造販売
ガスメーター製造は順調な歩みを続け年々販売数が増加していく一方で、大元は水道メーターの研究にも着手します。
この頃全国の主要都市では水の使用量増加に伴い、「定額料金制」から「計量料金制」への移行が増えていました。
かつてのガスメーターと同じく水の使用量の計測も海外からの輸入品に頼っていた当時、大元は水道メーターの製作を行うことを決意します。
水道メーターの製作は、他の精密会社でも思うようにいかずなかなか実用化に至らないという、大変難しいものでした。
しかし大元は決意を変えることなく綿密な研究を重ね、やがて二種類の精巧な水道メーターを完成させます。
日本の各都市がその優秀さを認め、次々と金門の水道メーターを採用していくこととなります。
- この頃の社会の動き
-
- ・第一次世界大戦始まる
- ・度量衡法施行令公布により国の検定が開始。流量計の社会的位置づけが明確になる。